妄想の天ぷら定食
一郎は今日も22時過ぎに帰宅した。
仕事場から自転車で10分ほどの距離にあるアパートの2階の一番奥にある部屋には、住み始めて何だかんだで3年が経とうとしている。アパートなので入口にオートロックも勿論なく、女性は滅多に見かけないがお婆さんが1階に住んでいるのみだ。
まずシャワーを浴びて、コンビニで買った総菜とカルボナーラで夕食を済ませる。「それじゃ味気ないんじゃないの?」とよく周りから言われるが食には昔から興味がなく、今日の昼食も近くのまいばすけっとで菓子パンとヤクルトの定番セットだった。
夕食後はYouTubeをながら観してスマホを触ってくつろぐ。文字にするとつまらない日常だが、この食後の短いひと時がリラックス出来て、一郎にとって明日へのメンテナンスの大事な時間だ。
一郎は美容師だ。
今の店で働きだして来月で3年になり、このアパートには仕事に合わせて引っ越してきた格好だ。
店の知名度はそこそこで、古くから利用している有名スポーツ選手がテレビのロケで訪れた事で一気に客足が伸びて、特に休日は予約が取れない日があるほどだ。一郎はその店の3店舗目の系列店で働いている。美容師としての腕も認められて来ており、店のエースと言える存在でもあった。
一郎自身は決してその状況に甘んじることなく、実直にまた向上心を持って働いていた。
ある日、いつものように夕食後のまどろみの中で一通のメールが届いた。LINEでなくショートメールでその番号には見覚えがあった。
「お父さんが倒れました。すぐに帰って来なさい。」
6年前に言い争いの末にやけになり家を飛び出して以来、一切の連絡を取ってこなかった母親からだった。相変わらずこちらの都合を考えない一方的なメールだったが、内容が内容だけにすぐにメールを返した。
「大丈夫なん?明日休み取って帰る。」
親子特有の気恥ずかしさから、まるで6年のブランクがないようにぶっきらぼうな返信をしてしまった事に自己嫌悪したが、父親は昨日倒れて搬送先の病院に入院中で経過を看ているとの事ですぐに身支度を始めた。
店には事情を説明して、翌日休みを取って父親の入院している病院へ向かった。ちょうど父親は寝ていて話すことは出来なかったが、医者からは「容態は安定してきているので大丈夫」という言葉を聞いたのでひとまず実家に帰る事にした。
母親とは病院で合流して、実家へは母親の車を一郎が運転して助手席に母親を乗せて帰ることになった。6年の月日はやはり長く、気まずい沈黙が車内を包む。
「あんた、その腕はどうしたん。」
一郎はハンドルを握る両腕に目をやった。
6年前、あてもなく家を飛び出して、ようやく雇って貰った美容室で先輩にたてつき揉めて投げ出す形で店を辞めた。その後は風俗のキャッチの仕事などで食いつなぐ生活を送っていた。その荒れた時期に掘った入れ墨だった。
「いや、別に。」
母親を横目で見たが、一郎には顔を向けずまっすぐ前を見ていた。
その後も決して空気が和らぐ事はなかったが、一郎と母親は少しずつ言葉を交わした。
実家に着き車庫に車を入れた所で母親が一郎を見て言った。
「お昼まだやろ?食べていき」
有無を言わさない言い方だったが、実際腹が減っていた一郎は有難かった。
程なくして母親が料理を運んできた。天ぷらが皿に盛られていた。
小さい頃にもよく食べた、実家で採れた野菜の天ぷらと地元名物のとり天。野菜は塩で、とり天はからし酢醤油が実家の食べ方だ。理由は分からないが、とり天は唐揚げと違いジューシーで思わず火がちゃんと通っているのか疑いたくなるほど柔らかい。天ぷらにからし醤油は意外だが、味がしまってご飯にこれがまた合う。
ご飯は旬の魚の炊き込みご飯で、魚の出汁が染み込んだ米としょうがアクセントとなって、これも昔は際限なく食べられる気がしていた、子供の頃の一郎のご馳走だ。一郎は炊き込みご飯の味付けは、醤油・みりんよりシンプルな塩が好きだった。つけあわせの漬物もそれぞれ味が異なり、間に挟む事でフレッシュな気持ちで天ぷらに臨むことが出来た。一郎は気恥ずかしもあったが、出されたご飯をかきこんだ。
「美味いわ。これ。」
これだけの料理をすぐに出せるはずがない事を一郎は分かっていた。母親は台所から振り返らずに言った。
「おかわりあるから。」
- おかず「とり天と野菜天ぷら」
鶏もも肉:300g
▲にんにく:1片(すりおろし)
▲しょうが:1片(すりおろし)
▲醤油:大さじ2
▲みりん:大さじ1
大葉:2枚
ピーマン:2個
ミニトマト:2個
油:適量
小麦粉:適量
- 小麦粉:150g
- 水:250ml
- 卵:1個
- 炭酸水:25ml
・鶏肉を▲の調味料に30分程度つける
・食材に小麦粉をふる(衣のつなぎ)
・●の材料を混ぜあわせて、食材をくぐらせて180度の油で揚げる
- ご飯「黒むつの炊き込みご飯」
黒むつ:1尾
しょうが:1片(千切り)
三つ葉:1束(粗みじん切り)
塩:小さじ1
米:1.75合
・黒むつは3枚におろして、塩をふり皮の面をパリパリになる程度まで焼く
・しょうがと塩と黒むつを一緒に入れて炊きこむ
・炊き上がったら三つ葉を混ぜ込む
- つけあわせ
A:ししとうのさっぱり漬け
ししとうにさっと茹でて、出し汁・酢・砂糖・塩を好みの配分で漬ける
B:ゴーヤの漬け物
ゴーヤの重量の3%の塩と昆布・赤唐辛子で漬け込む
C:もやしとピーマンのナムル
さっと茹でたもやしとピーマンを醤油・ごま・塩・鶏油で合える